2013-05-11

紙飛行機との出会いから今日まで その1

てっきりブログに紙飛行機との出会いついて

書いていたつもりでしたが、書いてないようで「出会い」

について書いて欲しいというリクエストがありましたので、

ついでに「今日」までをしばらく語って見たいと思います。



現在、私がやっている組み立て式紙飛行機と出会ったのは

小学5年生のときである。それまで、物心付いた頃から

新聞の折り込みチラシでへそ飛行機やいか飛行機などの

伝承系の折り紙飛行機を作っていた記憶はあるが、

感動するほど長い時間や距離飛んだことはなかった。

折って形にすることが、楽しみであったように思います。


もう30年ほど前になりますが、

当時の小学5年生の担任の先生が、藁半紙に組み立て式紙飛行機の

図面を刷ってくれて、児童に配布していたのがきっかけでした。

クラスの皆がこの図面を元にせっせと製作してました。

その時の機種も一部、鮮明に憶えているものがあり、

吉田辰男先生の飛鳥、スーパーフライングフィッシュ、バードマン、

スカイフレンドです。

写真が復刻版で出版され購入した切り抜き本で再開した

上記の機体達です。このときは、再開に感動しましたね~





なかでもスカイフレンドは、お気に入りで何度も製作しましたね。

学校に向かう途中の文具店でケント紙とカーボン紙を購入し

家に帰っては、ケント紙、カーボン紙、図面を重ねて

クリップで固定しフリーハンドでトレースをして

その後にハサミで切り抜き接着剤で貼り合わせて

作っていたものです。


この頃、二宮先生や吉田先生の切り抜き本が幾種類か

出ており、同級生の間でも流行っていた時期でもあった。

しかし、私は相変わらずトレースをし作るのが好きであったため

切り抜き本の元は、あまり抜かなかったような気がしてます。

これは、今も受け継いで行っている作業である。

もっとも今は、PCでやってますが・・・


こうして小学5、6年生の2年間は、やった記憶があるが

その後はパッタリと止めてしまいましたね。

言っておりませんでしたが、この間での私の紙飛行機とは

作って形にすることが楽しく、飛ぶと言ってもほぼ

自由落下でそれが普通だと思っていました。

これが後々にハマるきっかけとなります。


私は、この当時すでに紙飛行機の危険性も

十分理解できる体験もしました。5、6年生のどちらか

記憶は定かでありませんが、5mほど離れた子が

投げた紙飛行機が私の目を直撃し白目の部分が

全て真っ赤になるほどの怪我をしました。

この頃、機首に安全スポンジを装着する習慣はなく

さらには、機体はクリアラッカーで防湿、頑丈にすることは

していたため上記のダメージを負うこととなりました。


今の時代ならすぐに責任問題になるんでしょうね。

先生と私は、近くの眼科に向かい処置をしてもらい

診察の結果も特にその後のダメージも残らないとのことで

視力も落ちることなく今に至ってます。

私に当ててしまった子の親が謝りにうちに来られましたが

当時は、まぁまぁしょうがないでしょう、大事にならなくて

良かったと言った感じで過ぎてしまう時代でした。

悪意のない不注意で起きてしまう事故には、

ある程度の寛容さがあっても良いのではと今も

思ってます。

この当ててしまった子は、親に怒られるのが嫌で

中々、家に帰らなかったようですが、

少なからずお灸を据えられたことでしょうが、

このようなことが、また、上手く作用していた時代でも

あったように思います。



こうして2年間を過ぎた後は、平行してやっていた

プラモデル作りや仲間内で流行っていた

エアガン(今、次男(小六)が夢中)、ラジコン、ゲームと

そちらの遊びが中心となり、いつしか紙飛行機は

忘れ去られていったのである。



これが、紙飛行機との出会いであり、長い間の

休止期間の始まりでもあったのです。

今回は、これぐらいで次回にしまーす。


2 件のコメント:

  1.  む~ん、事故みたいなことはなかったですが、ほぼ私も同じ経験をしてますね。 流行ったんですよね。小学校の時。その後、たまに作ることもありましたが、やっぱりほかの遊びに夢中になっていきましたね。それも一緒ですね。

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    1. すごく低い確率の事故だったと思います。腕や体に当たれば、痛っくらいで終わったはずです。目という場所なんて狙っても本来当てるのは難しいと思います。ですが、事故というか大怪我なんてものはこんなものですよね。

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