2013-05-26

紙飛行機との出会いから今日まで その2

その2、行きまーす。

長い休止期間を経て次に出会うのが2003年5月です。

軽く20年ほど間が空いてしまうのである。

その間、地元の同級生なんかとは何度となく思い出話に

紙飛行機が登場するのですが、機体を製作することは

ありませんでした。


しかし、ついにその時は訪れました。

いつものように仲間内で話題に上がり今度は

やろうということになったのです・・・・が、勢いだけで

その後に皆が作って飛ばすことはなかったのですが、

この当時は、すでにネット環境が整っており

色々なものがネットで購入、検索できる時代でありました。

で、私は二宮先生の切り抜き本(1~5)までを購入し

気に行ったものを製作しては、近くの小学校の校庭で

飛ばしていました。


この頃は、20~25秒ほど飛ぶことはありましたが、

偶然で本来の飛ばすための調整や製作精度は、完全無視で

ございました。


これがきっかけで小学校当時の思いとシンクロして

気分はすっかりその当時へ・・・楽しくて仕方ありません。

ネットでも「紙飛行機」などで検索して色々と見て回って

いたのですが、そこでどっぷりこの世界に浸かる教室へ

行ってしまったのです。

2003年の7月にネットで見つけた

木曽三川公園紙飛行機教室、うちからは15分ほどです。

こんな近くで教室が・・・行くしかないでしょ。

通常は親子連れが子供さんのためにというのが一般的ですが、

私は自分で作った機体も持って教室に参加しました。

このとき作った機体が東京の古野さん設計の

スターターFです。現在は製造中止になってます。

胴体がバルサ材(木製)で翼が紙というハイブリッドな機体でした。

この時まで胴体がバルサ材の機体を知りませんでした。

写真は、2007年の頃の教室風景です。


 
師匠の山田さんです。ここの主でございます。

左から3人目の赤い先尾翼を持っている
山口さんに最初の教室でレクチャーを受けました。

                


山口さんには、最初の教室で9月に予選会があるから

愛知の森林公園へ行っておいでと言われましたが、

その時はまだピンと来ておりませんでした。

午前中にスターターFを製作し午後から広場で飛ばすからと言われ

広場へ移動しました。

そこで目にしたものが、衝撃的で虜になってしまったのです。

少し大げさかもしれませんが、私の中ではかなりの衝撃、感動でした。

皆さんたくさんの紙飛行機を段ボールで作った箱から

思い思いの機体を取り出し、糸ゴムを使って飛ばし始めました。

なんなのその高さ!

え~、そんなに長く飛ぶの!?

今まで見たことのない高さまで上がって行き

ふわふわといつまでも飛んでいます。

小学生のときは、作る楽しみがほぼ100%で飛ぶことは

ほとんど皆無でした。

20年の時を経てその紙飛行機達が飛んでおります。

もう自分の中での興奮がMAXに達していました。

この興奮度を理解できる方は、常人の方でいないでしょうね。

アホでしょ~、私。

何と言われようと構いません。

この日を境に私の生活パターンは一変します。

今日は、これぐらいにしまーす。

一応、下書きはその4まで出来てますので4までは行けます。

この私が、ハマり出した時に出てた本のご紹介です。

工作読本には、ホワイトウイングスの応募券があって
レーサー520が当たりました。

工作読本の中身です。



 


 こっちがNHK趣味悠々で番組テキスト的な本でした。
 紙飛行機は3回に分けてやってましたが、その後ゴム動力
やインドアプレーン、ラジコンと模型飛行機全般が
番組で取り上げられていました。

 
何回も目を通している本です。






2 件のコメント:

  1. 「その2、いきまーす。」のくだりは、ガンダム世代のあらわれですか?私もガンダム大好きです。「アムロ、いきまーす」

    返信削除
    返信
    1. いらっしゃいませ~、

      そうですね。小学生の頃は、ガンプラをよく作りました。

      近所の模型屋さんで予約して買ってましたね。人気のある

      ものは予約しないと買えなかったです。

      削除