2013-06-26

紙飛行機との出会いから今日まで その3

随分と日が経ってしまいましたが、

その3に行ってみたいと思います。

その2を機会に趣味としてスタートしたのですが、

様々な挫折が待っていたのである。



木曽三川公園の教室に顔を出したのが2003年7月

でしたが、無謀にも2ヶ月後の9月に開催される

全日本紙飛行機選手権大会の予選会が愛知森林公園で

開催されるということで、7月の教室で勧められていた

こともあり参加することにしました。



名機カブⅢ、入門用の位置づけではあるが

これをきっちり飛ばせる方は多くは

ないのでしょうか。


このときは、以前に木曽三川公園で指導してもらった

カブⅢを持って、機体の調整もそのときにしてもらって

以来でしたが、競技開始の直前もそこそこ飛んで

いたので大丈夫だろうと思っていました。

ところが・・・・・


記録は、穴があったら入りたいくらいの記録で5回の

フライト合計で54秒ほどだったと思います。

記録をお願いして、飛ばす度に飛ばない私の機体への

周囲の反応がとても競技に出られるレベルじゃないよね

と、言われているような感じがして途中から

5回飛ばすことが苦になるほどでした。

普段からこのために練習してきた人からすれば、

ちょっと紙飛行機に出会って出てみようと思い

参加している人とは、そこにかける「思い」が

違い過ぎますよね。


競技前には、全国でもトップクラスの門川さん(愛知の会)にも

どう?と聞かれ「そこそこ飛んでます」なんて言ってましたが

見事過ぎる成績に会話を思い出すと顔から火を噴きそうな

感じでした。門川さんが2002年にカブⅢで全国優勝している

のを知ったのは、もっと後だったと思います。


この年の予選会記録でカブⅢの記録は愛知の会で

ほぼビリだったと記憶してます。


今思えばとても記録がでるような状況でないことが

理解できますが、当時は何も考えが及びませんでした。

機体の製作精度、飛ばすための調整、風読み、

紙ならではの撓みや捻じれ、反り等々出来上がれば

飛ぶものだと思っていましたね。



この当時は、まだ私は趣味としてバレーボールと野球を

やっており、週末、平日の夜と10年近くやってきており

ました。しかし、2003年の全日本選手権大会の決勝大会が

大阪で開催されると聞き、予選会は通りませんでしたが

一体、紙飛行機の全国大会がどんなものなのか、見学だけ

でも行くつもりでしたが、バレーボールの町内大会と日程が

重なり行くことはありませんでした。

本物を見る機会を逃してしまいました。

ただ、このときの大会は天候がかなりの

荒れ模様だったと記憶してます。


こうして2003年5月に小学生の頃の思い再びに

紙飛行機に出会い、7月に木曽三川公園の教室に

行き、9月に予選会に参加し紙飛行機を趣味として

作り、飛ばす楽しみを知りつつあったのですが、

年を越える頃まで半年近く、まともに紙飛行機が

飛んだことはなかったですね。



この間も折に触れ門川さんや木曽三川公園の

教室で尽力されている山田さんにも色々と

調整方法を教わるのですが、なかなかこれが

理解できないというか、機体に起こっている現象と

その機体の状態、そこに加わる説明の3つが

消化できず一向に進歩せずに

飛んだり飛ばなかったりを繰り返してました。


2003年暮れに忘年会を愛知の会で行うということで

参加しました。このときに、皆の自己紹介や

機体製作の治具や調整方法の解説など

様々な紙飛行機談議があり、紙飛行機が飛ぶためには

切って貼って完成させれば飛ぶという

概念はすっかりなくなっていました。

忘年会のときのスナップですがいつ撮られたのか
記憶にないです。何か発言をする直後かしたあとっぽい
もう、10年前の写真ですね
この頃には、毎週末に木曽三川公園へ行き、平日の夜は

機体製作と野球、バレーボールの影が

薄くなり始めていました。

さて、その3はこの辺で終わりにしまーす。

あっ、冒頭に様々な挫折とありますが

2005年まで続くのであります。

その5、6あたりで触れたいと思います。

その4は、紙飛行機が楽しくて仕方ない

様子をお伝えすることになると思います。

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